2018.11.30[Fri] |
『叡智』 |
宇宙船はあなたの魂を天高く舞い上げます 瞳は永遠を見つめ 魔術の中でひっそりと暮らしてきた割には いかにも善良そふに見えるもの 其れは誰も観たことのない海原であり 其処には救命カプセルが尖って現れる 銀河の映像はいろんな色で満たされて 時は粉々に砕け散り 其れは蒼き衝撃となりて 恐れ慄く辺境の地に降り立った 化石化したデミウルゴスは もふあんなに遠くに 何といふ光悦でしょう 寵愛は思考逃避しているから 引き裂かれる方向へと向かふ 絶え間ない海の波の中で現れる 回転ドアを押し開ける姿 其処には人々の考えが 及びもしない叡智が 細胞や種子や泥的なもの ひとつの汚れもない真実の濾過装置として 打ちのめされるのです |
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2018.11.29[Thu] |
『ジョルダーノ・ブルーノの形而上学』 |
掲載画像は『カバラ』の『生命の木』… まさに『現代神智学』である… 『カバラ』といふ神秘主義は 故意に其の真意を理解し難しく説いた思想である… なかなかに、たちが悪いのだ… 『現代神智学』を識るためには 故に『三部の教え』が必要不可欠なのである… さて、此処で話は変わり… ノラの人『ジョルダーノ・ブルーノ』は イデアの影について非常に明快に 『ヘルメス・トリスメギストス』であることを断言している 『ジョルダーノ・ブルーノ』は『古代宇宙創世神話(天動説)』に対し 新しい哲学『地動説』の技法を打ち立てる… 其れはまさに『魔術』についての著作であり 莫大なる太陽魔術についての著作であるのだ… 『古代エジプト文明』は今現在となっては 其の本質を認識することは不可能である… 其れはいかに『科学』が発達しても 達し得ないことであるからだ… 今現在、此の世界に於いて知覚する 『古代エジプト文明』とは 『ヘレニズム文明』に微かに残るものを 確かめるしか術はないのだ… 畢竟、知性の精神の宗教は可視的太陽の 崇拝の彼方といふことなのだ… 『悲観的思想』をアウグスティヌスのよふに 解釈するのであれば 其れは『キリスト教徒』に他ならない… 『キリスト教徒』といふ『水星(メルクリウス)』の過ちが より良きエジプトの宗教を弾圧したといふのが真相なのだ… 其れは『アレクサンドリア』の歴史を鑑みれば 他に一体何を云ふことがあるのであるか… 此の世界、つまりは『叡智界』と『星辰界』と『地上』に於いて 光の影を観ること、つまり反照を目指す志向性を保持することで 神的な光を直接的ではない有り様で観察することを 理論づけたに過ぎないのだ… この箇所には『カバラ主義』形象世界への 幾つかの言及が存在している… 『ジョルダーノ・ブルーノ』の形而上学とは まさに、ひとつの車輪によって可視化されたのである… |
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2018.11.28[Wed] |
『ユスティノス』 |
昨日の続きの話に於いては 教父『ユスティノス』に言及することになる… ユスティノスは、紀元2世紀のキリスト教神学者であり護教家… 『殉教者ユスティノス』とも言われる… ギリシア・ローマ思想とキリスト教思想の融合を 初めて果たした『護教教父』といわれる最初期のキリスト教神学者の一人である… ユスティノスは『ロゴス』を多用し 『完全なるロゴス』を『キリスト』と同定した… 彼にとっての課題は… ギリシャ・ローマ的教養とキリスト教をいかに調和させるか また、キリスト教徒に対する迫害と中傷の解消であった… つまり、哲学的真理に対する キリスト教の優位性を主張したのである… またその完成としての福音というテーゼが顕著である… ユスティノスは、ローマ皇帝は『悪の支配下』にあると見做し 『悪』に戦いを挑む『キリスト』を掲げたのである… 彼は『キリストの支配』は『宇宙規模の支配』である… 『昇天』は、天界の支配者たちをも従える 『支配の完成』であると説いたのだ… カエサルと地上の支配者たちをも従えることは、此処に当然含まれる… ユスティノスはつまり『キリスト』は『ロゴス』だと 当時のローマ人に対して叫んだのだ… 『ロゴス』といふ言葉を使えば 当時の知識階級者の頭には、宇宙的な力が思い浮かぶからである… ユスティノスは、其処から更に 『キリストの十字架』の意味を理解する… すなわち『十字架』は『種子的ロゴス』の力の顕現であり したがって、其のひとつである『キリストの十字架』も 自然法則的に、その形ゆえに『ロゴスの支配』の顕現 すなわち『勝利の印』なのである… 『十字架形』に関する議論は、自然界に見られる十字架形 すなわち、船の帆、鍬、人間の体型などの 全ての『支配のシンボル』であるのだ… ローマ軍の軍旗と盾についている十字の形が ローマの『前進』すなわち『侵略の原動力』… 『ロゴス・キリスト』の『力と支配』の印が 此処にもあるのである… 此処で話は脱線して終ふが… 『現代神智学』に於いては 『ロゴス』が重要な働きをするのである… 『現代神智学』は、非常に『カバラ』的な様相を呈している… 『現代神智学』は『ナグ・ハマディ文書(福音書)』の中の 『三部の教え』を読み解くことで見えて来る世界なのだ… |
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2018.11.27[Tue] |
『キリスト=カエサル説』 |
古代キリスト教会に於いて 大きな困難のひとつとして挙げられるのは 『皇帝礼拝』であった… 皇帝の像の前で『犠牲』を捧げる行為は 国家権力に対する忠誠の証… 『イエス・キリスト』でさえ 此れを拒絶すれば どのよふな結果が待っているのか 分からないものであったのだ… 『教会』は常に『キリスト=カエサル説』の問題 つまり『キリストか、カエサルか』に対する 解答を迫られていたのである… 『神学議論』として、此れが決着したのが 紀元4世紀になってから… 『神寵帝理念』による… 『神寵帝理念』とは、皇帝を直接『神』とするのではなく 『神の恩寵によって選ばれた神の代理』を意味するもの… では『キリスト=カエサル説』の問題に対して 『キリスト』を選択したのかと言えば 実際のところは『二者択一』を避けたのである… つまり『キリストも、カエサルも』になったのだ… キリスト教は、宗教としての皇帝礼拝を排除した反面 権力としての皇帝は『神学』に位置づけたのである… 此処で、非常に興味深いのは 此の決着をした際に用いられたのが 『古代宇宙論』であったこと… 『宇宙論』的な身分の階層構造が 『キリスト教神学』の中に座して 皇帝礼拝の問題に対しても機能を 発揮していることなのである… |
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2018.11.26[Mon] |
『マリアの福音書』 |
掲載画像は、わたしが高校時代に 最も惹きつけられていた画家『エル・グレコ』作… 『悔悛するマグダラのマリア』です… 本日は『マリアの福音書』が主題… 少し前に述べた、以下の内容の『続編』となります… ( 2018.10.29[Mon]『マリアの福音書』・参照) 『マリアの福音書』は… 『イエス・キリスト』が説いた最奥義の教え… 非常に短い福音書です… 然し乍ら『グノーシス文献』の中で 最も重要なものの、ひとつでもあります… 『マグダラのマリア』が 『復活したイエス』から授かった『教え』が 『グノーシスの救済理論の最奥義』なのです… 十二人の弟子たちの中に於いて 『イエス・キリスト』の最奥義を授かったのは 『マグダラのマリア』のみ… 『ペトロ』は其れに『嫉妬』したのである… そして『マリアの福音書』もまた『フィリポの福音書』同様に 『キリスト正統派』から激しい『反駁』を受けたのである… 以下『ナグ・ハマディ文書(福音書)』より、一部抜粋… ――――――――――――――――――― ペトロがマリアに言った 『姉妹よ、救い主が他の女性たちに優って 貴女を愛したことを、私は知っています。 貴女の思い起こす救い主の言葉を私たちに話してください。 貴女が知っていて、私たちの知らない、 私たちが聞いたこともないようなそれらの言葉を』 マリアは答えた 彼女は『あなたがたに隠されていること、 それを私はあなたがたに告げましょう』と言った 『私は一つの幻の内に主を見ました』 『貴女は祝されたものだ、私を見ていても 動じないから。というのは叡智のあるその場所に宝があるのである』 私は彼に言いました 『主よ、幻を見る人がそれを見ているのは、 心魂か霊かどちらを通してなのですか』 救い主は答えて言われました 『彼が見るのは、心魂を通してでもなければ、 霊を通してでもなく、それら二つの真ん中にある叡智、 幻を見るものは、その叡智であり、その叡智こそが…(欠損)…を』 (中略) そして欲望が言った 『私はお前が降りるところを見たことがないのに、 今お前が昇るところを見ている。 お前は私に属しているのに、どうして私を騙すのか』 心魂が答えて欲望に言った 『私はあなたを見た。あなたは私を見たこともないし、 私を知覚したこともない。 私はあなたにとって着物のようであったのだが、 あなたは私を知らなかった』 これらのことを言った後、心魂は大いに喜びつつ 去って行った (中略) それから心魂は第三の権威、 無知と呼ばれるもののところに来た その権威が心魂を尋問した 『お前が行こうとしているのはどこへなのか。 お前は悪の内に支配されてきた。 お前は支配されてきた。裁くな』 と言って。 そこで心魂が言った 『あなたが私を裁くのはなぜなのか、 私は裁いたことなどないのに。 私は支配したことがないのに、私は支配されてきた 私は知られなかったが、 私の方は、地のものであれ、天のものであれ、 全てのものが解消しつつある時に、それらのものを知っていた』 心魂は第三の権威に打ち勝った時、上の方に去って行った そして第四の権威を見た。それは七つの姿をしていた。 第一の姿は闇であり、第二のは欲望、第三のは無知、 第四のは死ぬほどの妬みであり、第五のは肉の王国であり、 第六のは肉の愚かな知恵であり、第七のは怒っている人の知恵である これらが怒りのもとにある七つの権威なのである (中略) 彼らが心魂に 『人殺しよ、お前が来るのはどこからなのか。 それとも、場所に打ち勝った者よ、 お前が行こうとしているのはどこへなのか』と尋問すると 心魂は答えて言った 『私を支配するものは殺された。 私を取り囲むものは打ち負かされた。 そして私の欲望は終わりを遂げた。また無知が死んだ。 世にあって私が解き放たれたのは天的な範型からであり、 一時的な忘却の束縛からである。 今から私が沈黙の内に獲ようとしているのは、 時間の、時機の、そして永久の安息である』 マリアは以上のことを言った時、黙り込んだ。 救い主が彼女と語ったのは ここまでだったからである。 (中略) アンドレスが答えて兄弟たちに言った 『救い主がこれらのことを言ったとは、この私は信じない。 これらの教えは異質な考えのように思われるから』 ペトロが答えて、これらの事柄について話した。 彼は救い主について彼らに尋ねた 『まさかとは思うが、彼がわれわれに隠れて 一人の女性と、しかも公開でではなく語り合ったりしたのだろうか。 救い主が彼女を選んだというのは、われわれ以上になのか』 その時、マリアは泣いて、ペトロに言った 『私の兄弟ペトロよ、それではあなたが考えておられることは何ですか。 私が考えたことは、私の心の中で私一人で考え出したことと、 あるいは、私が嘘をついているとすれば、 それは救い主についてだと考えておられるからには』 (中略) レビが答えて、ペトロに言った 『ペトロよ、いつもあなたは怒る人だ。 今私があなたを見ていると、あなたが この女性に対して格闘しているのは敵対者たちのやり方だ。 もし、救い主が彼女をふさわしいものとしたのなら、 彼女を否定しているからには、 あなた自身が一体何者なのか。 確かに救い主は彼女を愛したのだ。 むしろ、われわれは恥じ入るべきであり、 完全なる人間を着て、彼がわれわれに命じたそのやり方で、 自分のために完全なる人間を生み出すべきであり、 福音を宣べるべきである、救い主を越えて、 他の定めや他の法を置いたりすることなく』 (欠損)…したとき、彼らは告げるため、 また宣べるために行き始めた。 |
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2018.11.25[Sun] |
『フィリポの福音書』 |
『フィリポの福音書』は、1945年… エジプトのナイル中流地域のナグ・ハマディといふ町の近郊で 発見された『ナグ・ハマディ文書』の中の一節です… ( 2018.10.16[Tue]『ナグ・ハマディ文書』・参照) 本来的な意味での『プレーローマ』到達の『救済』とは やがて来たるべき『終末』に於いて ソーテールの従者である『天使たち』に 花嫁として結ばれるものであります… 然し乍ら『フィリポの福音書』に説かれていることは 地上的な『模造』としてのひとつの儀式です… 言い換えれば『人間(アントローポス)』が 本来的自己によって『プレーローマに至る救済』の『模造』です… つまり『救済』の意味に於いて 『プレーローマ』に於いてのレベルの儀式であるか 『肉体』に於いてのレベルの儀式であるかの違いとなります… 『グノーシス主義』に於いては 『肉体』に於いての此れを『新婦の部屋』と呼びます… 『新婦の部屋』は 地上に於いての『救済』の到達地点の儀式 『魂』の解明の儀式です… 『聖なる接吻』(あるいは臨終儀礼)を 行なったとも言われておりますが 実態は謎に包まれています… 『聖なる接吻』とは… 初期キリスト教に於いて女性を完全に排除して 幾分、同性愛的な傾向のある 出産儀式を行なったといふものです… 其の『模造の救済儀式』は 司祭が弟子に接吻することで『救済』を 目指すものであったよふです… 清められた『魂』は『花嫁』として生まれ変わり (男性であっても、花嫁として生まれ変わる…) 『新婦の部屋』に入る… 彼女は其の部屋を香で満たし 座して『花婿』を待ち続ける… 『魂』は『父の家(プレーローマ)』から落ちて以来 記憶がなく、自分の『花婿』となる人物を知らない… 此れを見た『父』は、その長子を 彼女の『花婿』として差し向ける… 彼らは『新婦の部屋』で結ばれるが 此れは『肉体的な交わり』を意味しない… 彼らは『欲望の苦悩』を『重荷』であるかのよふに捨て去り ひとつの命となるのである… 『フィリポの福音書』に於いての 『新婦の部屋』の儀式は、非常に謎めいた儀式ですが… 此れは実際に行われていたのであろうと言われています… そして其れは『キリスト正統派』から 激しく反駁を受ける対象でもあったのです… |
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2018.11.24[Sat] |
『感情と時間をめぐる思索の足跡』 |
掲載画像はティツィアーノ作の『思慮の寓意』 (ロンドン・ナショナル・ギャラリー/所蔵) アレキサンドリアの『セラピス神』を描いたものである… ヘレニズム期エジプトの習合的な神『セラピス神』は 『三つの頭部』を携えています… 『セラピス神』に於いての『三つの頭部』とは… ミラノの守護聖人 『マクロビウス・アンブロシウス・テオドシウス(340頃-397)』の説に拠れば… ―――――――――――――――――――――――――― 『狼=過去』 過ぎ去った物事の記憶は奪い取られ、運び去られる ―――――――――――――――――――――――――― 『獅子=現在』 過去と未来の間にある其の条件は、力あり熱意ある現在の行為 ―――――――――――――――――――――――――― 『犬=未来』 希望を生じさせ、不確実にも関わらず穏やかなものとされる未来の出来事 ―――――――――――――――――――――――――― …となるのである… 『ジョルダーノ・ブルーノ』も 『セラピス神の時間の車輪』に着目しており 其れは、彼の著書『英雄的狂気』に立ち現れている… 然し乍ら『ジョルダーノ・ブルーノ』にとっての『現在』は 力あり熱意ある現在の行為ではなく 苦しめられ悩まされるものであったのだ… 此処に『ジョルダーノ・ブルーノ』の 『感情と時間をめぐる思索の足跡』があるのだ… 其れは、人間の尊厳としての位置付けが明白になった 『感情の働きについての問題』になるのである… ( 2018.7.30[Mon]『セラピス神』・参照) 此処で話を逸らして終うが… 私は『セラピス神』と『阿修羅』について… 共通する精神を見出している… 『三つの頭』… そして『時間軸』… 『阿修羅』に於いての『三つの頭部』とは… 右は反抗心の幼き表情 左は思い詰めた思春期特有の表情 真正面は仏に帰依し、一切の迷いを断ち 決意みなぎる青年期の顔… 以下にリンクする動画には 『阿修羅』の精神が、漲っていると感じます… ―――――――――――――――――― 『日出ずる処』 https://www.youtube.com/watch?v=ur6I3WHxXwA |
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2018.11.23[Fri] |
『ミッション』 |
わたしの『人生』に於いての『ミッション』とは 一体どのよふなものなのでしょう… 誰から指し図された訳でもないのに 此のよふに『葛藤』を重ねている訳とは… 其れでも、断じて『放棄』する訳にはいかないのです… わたしは、生かされているのだから… 以下にリンクする映画『The Mission(ミッション)』 (ロバート・デ・ニーロ:主演)には 其のよふな、感情の高ぶりを感じて終ふのです… 此の映画の舞台は、18世紀中頃の南米… ヨーロッパ人による『奴隷政策』が進む中 『イエズス会』の原住民への布教活動が物語となっている… ロバート・デ・ニーロが… 『イエス・キリスト』に見えて終ふのは わたしだけでしょうか… 更に此処に、わたしは 『ユングの分析心理学』を感じるのであります… つまりは『ユング』に於いての『原始人』の研究について 思考を働かせてみるのです… 其れは『因果律』の問題があり… 『ドグマ』の問題がある訳なので… 更に分かり易く言ふなれば 『偶然』への真摯な問いかけになる訳です… ―――――――――――――――――――― 『The Mission』 https://www.youtube.com/watch?v=Ui91q7Y9xPk |
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2018.11.22[Thu] |
『笑いの三兆候』 |
『アンリ・ベルクソン』の著作に『笑い』がある… 『物質と記憶』の後に著された、此れまた名著である… 此の『笑い』の中でもまた 『平衡』は重要な意味を持って立ち現れてくるのだ… 人間にとって 笑いが引き起こされる場合と、そふでない場合… 其処には、両者を分ける 『三つの兆候』があるとベルクソンは説いている… 『三つの兆候』とは… 第一のものは『笑いの中の人間性』 第二のものは『笑いに伴ふ無感動』 第三のものは『笑いの中の社会性』 第一のものは、笑いの対象に関わる われわれは『人間的』なものしか笑わない たとえ人間でないものが笑われるとしても 其れは、人間との互いに 共通点があることによって 人間がそれに刻み込んだ印あるいは 人間が其れを用いる仕方によってである… 第二のものは笑う側に関わる われわれは対象に『共感』を覚えたり『憐れみ』をかけたり 『愛情』を抱いていたりするとき 其の対象を笑うことはできない… 分かりやすく言ふなれば 笑うためには対象への『無感動』を貫き 徹底的に『無関係な傍観者』でなければならない… 第三のものは、笑いが生じる状況に関わる 孤独な精神にはおかしさは感じられないし 孤立した身体に笑いは生じない… どれほど、ありのままで 隠すところがないことだとしても 笑いは現実の、あるいは仮想の 他の笑い手との合意であり 共犯といえるような底意を秘めている 故に、われわれの笑いは常に集団の中での笑いとなる… 此のよふに『三つの兆候』の意味は すべて社会性との関わりの中で起こる… つまり… 『人間同士の関係の内側で』 『特定の相手に於いての冷静な距離』 『不特定の相手と態度を共有する』 という条件のもとでのみ、笑いは生じる… 此のよふな見地から 『平衡』が鍵になるのである… |
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2018.11.21[Wed] |
『平衡 』 |
アンリ・ベルクソンにとって 『心身並行論』が成立しないことを証明したことは 途轍もない偉業であった… ( 2013.9.11[Wed]『ベルクソンの純粋持続』・参照) さて、ベルクソンに於いて『平衡 (équilibre)』は 極めて重要な意味を持つものである… ベルクソン哲学は『身体』と『物質の他の部分』とを 分別することから出発しない… つまりは『身体』を意識の担い手として 最初から『特権視』することを認めないのだ… 然し乍ら、そのような立場を取るに際し 『身体』の地位をめぐって大きな困難が生じてくる… その場合に於いて… 一方では『身体』は他の物体と全く同じ資格で並び立つ ひとつの『物体』に過ぎないのだ… 他方『身体』は何らかの仕方で 『物質の他の部分』から 際立っていなければならないからである… 此の二つの条件を満たす『身体のあり方』を ベルクソンは『感覚運動系』と呼称した… 他の諸物体が… 外部から付与された作用に決められた仕方で 反作用を返すのに対し 生物の身体に於いては作用を感覚として受け取るシステムと 受け取った作用を運動として返すシステムとが 区別されつつ『未分離の全体』をなしている… 此れが『感覚運動系』である… 常に我々は、あるイマージュを『知覚』して 其れを過去の『記憶』に尋ねるものだ… 其の行為のもと『行動』しているのである… |
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2018.11.20[Tue] |
『物質と記憶』 |
本日は、わたしにとっての大切な哲学者 『アンリ・ベルクソン』著の『物質と記憶』を 紹介することにする… 既に何度か紹介はしているが 『物質と記憶』は、ベルクソンの名著であると想ふ… 彼の唱える『エラン・ヴィタール』は『生命の飛躍』の意味… ダーウィニズム(進化論)に於ける適者生存理論の思想は 生命的存在の存続の条件が 外的環境にのみある考え方であるのでは 進化の運動が何故ゆえに人類のよふな 高度な生命体の出現にまで至ったのかを 説明できないのではないかといふ疑念に対し 生命自体の内側により高度な生命体へと 発展していこふとする『衝動』 畢竟、自らを全的に顕現せしめよふとする『衝動』を求めたのだ… 『物質と記憶』は約300ページ足らずの本であるが ベルクソンは、此の本を書き上げるのに約8年を要した… わたしの方は、此の本を読破するのに 一日8時間、約2ヶ月半を要した… 其れは1時間で、1ページも進まない程の速度であった… とにかく難解な二元論哲学なのだ… わたしは、どのよふな本を読む時も 此の『物質と記憶』を常に頭の中に 想い浮かべ乍ら結びつけているのだ… 言い換えれば、此れを読んだことが 他の哲学者の文献を読む際の支えとなっているのである… アンリ・ベルクソンの『物質と記憶』より一部抜粋 (以下) ------------------------------------------ 『現在とはなにか』 これはつまり、私の現在が、私の身体についてもつ意識にあるということである。 私の身体は空間にひろがっていて、感覚を蒙り、また同時に運動を行う。 感覚と運動はこの延長の定まった諸点に限局されるから、 特定の瞬間には、運動と感覚の体系は一つしかありえない。 だからこそ私の現在は、私には、絶対的に決定されているように見え、 私の過去とは際立った対照をなしているのだ。 私の身体は自分が影響をこうむる物質と、影響を及ぼす物質との間にあって、 行動の中心、すなわち受けとった運動が巧みに道を選んで姿をかえ、 既遂の運動となるための場所である。 だからそれは、まさに私の生成の現在の瞬間、私の持続の中で 形成途上にあるものをあらわしている。 より一般的には、現実そのものである生成のこの連続の中で、 現在の瞬間というのは、流れていく流体に私たちの知覚が行う ほとんど一瞬の切断からなるものであり、 この切断こそまさに私たちが物質的世界とよぶものなのだ。 私たちの身体はその中心を占めている。 それは、この物質的世界の中で、私たちがじかにその流れるのを感ずる部分である。 その現実的状態こそ、私たちの現在の現実性をなしているのだ。 私たちの見解では、物質は、空間中にひろがる限りにおいて、 たえず再開される現在として定義されるのにたいし、 反対に私たちの現在は、私たちの存在の物質性そのもの、 すなわち感覚と運動の総体であって、他の何ものでもないのである。 そしてこの総体は、持続の各瞬間に唯一のものとして定まっている。 その理由はまさに感覚と運動が空間の場所を占めるものであり、 同じ場所に同時に多くのものがあるわけにはいかないからだ。 |
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2018.11.19[Mon] |
『哲学』 |
掲載画像は、ジャック=ルイ・ダヴィッド(画) 『ソクラテスの死』… 『哲学』とは、一般的には才能に恵まれた 常軌を逸した思想家たちの『堆積している場所』 もしくは其の『堆積物』ではない… 其れは、日々の仕事に追われることなく 『人生』や『宇宙』は そもそも、どのよふに成立しているのかと 問いかける『ゆとり』が出来た時に 誰しもが行う『営み』であるのだ… 我々『人類』は、もともと 『知りたがり』の性質を持っており 己を取り巻く『世界』や 『世界の中での己の位置』について 疑問を抱いているものだ… 我々は誰もが『強靭な知的能力』を付与されて 此の世に産み落とされている… その『恩恵』により ただ『疑問』を感じるだけに留まらず 『推論』を働かせることが 可能であるといふことである… 自分自身では気づいていなくとも 『推論』を働かせる時には 我々はいつも『哲学』的に 事物を思考している… 『哲学』とは… 根本的な問いへの『答え』を 与えてくれるといふよりは 先づは『習慣的な見解』や 『伝統的な権威』を鵜呑みにするのをやめて 『推論』を駆使して 自ら答えを見つけ出そふと試みる 『過程』なのである… わたしにとって『哲学』は 己の『無知』を想い知らされる 非常に愉しい境地なのです… |
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2018.11.18[Sun] |
『人間(アントローポス)の救済〜 其の2』 |
掲載画像は『ヘルメス文書』… さて… 『七つの遊星天』を通過した 『人間(アントローポス)』は 更に『恒星天(第八天)』へと上昇してゆく… 『恒星天(第八天)』は 可視的宇宙論に於けるハイアラーキーの 最も神的領域である… (然し乍ら『ポイマンドレース』に於いては悪魔視されている…) 其の『恒星天(第八天)』に存在している者たちは 『人間(アントローポス)』の『本来的自己』の到来を 喜びを持って迎へ、共に居る者と同化され 『叡智界』にいる諸力が甘美な声で賛美しているのを聴く… そして『人間(アントローポス)』は 此の場で歓迎され、共に賛美を歌い、聴くのである… ただ『ポイマンドレース』の『星辰観』は 此処でも『一般的伝統宇宙論』の『救済論』を更に飛躍する… 『一般的宇宙論』の『魂の帰昇』に於いては 『恒星天(第八天)』で終結し 此処を突き抜けて上昇することはない… 『ポイマンドレース』に於いては 更に『恒星天(第八天)』をも突き抜けて 『至高神』の中へと向かふのである… 其れは、秩序正しく『父のもと』に昇り 『神の内(一体化)』になることに他ならない… 此れを『神化』といふ… 『神化』此れこそが 『グノーシス主義』を有する者達のための『善き終極』 魂の『神聖』の回復なのである… 光と闇の幻の中で始まった『ポイマンドレース』の伝授は 『神化』の教えで終わり、弟子は宣教へと促される… そして『ポイマンドレース』は消え去り 弟子は宣教を開始する… 是等が『ヘルメス文書』の最高峰文献 ポセイドニオス(著)の『ポイマンドレース』の要約である… 『恒星天(第八天)』は 『一般的宇宙論』の目標であったが 『ポイマンドレース』に於いては 『神』に至るための通過点に過ぎないのである… 『ポイマンドレース』の『宇宙論』は 『一般的伝統宇宙論』から 此のよふに逸脱した高度な思想となっているのだ… 其れは『星辰』を『神々』と認識する伝統に対して 『星辰』を『悪魔視』し降格するといふもの… 一貫して『ポイマンドレースの宇宙論』は『星辰否定』なのである… 故に『ポイマンドレース』の『魂の帰昇』に於いては 『星辰界』の神話性は薄れ 無人格的な空間領域『層』と呼ばれているのだ… 是等を理解するには『グノーシス主義』のみならず 『イエス・キリスト』に於ける『マリアの福音書』 そして特に『フィリポの福音書』と 其の後に発達した『三部の教え』の理解が重要な鍵となるのである… 『ジョルダーノ・ブルーノ』は 此れを深く認識しており 更に彼独自の思想体系で 近代宇宙論を打ち立てることになるのだ… 是等の思想体系を嘲けり笑ふか 其処に何かしらの真理の道を見い出そふとするかは 各人の自由であることは否めない… 然し乍ら、永きに渡って蓄積されてきた人類の『叡智』が まさに此処に存在していることだけは 否定出来ないことなのである… 拙い乍らも… ( 2018.11.14[Wed]『ポイマンドレースの天地創造』)から 5日間に渡って連日、思考を巡らせてきた 『ヘルメス文書』の最奥義『ポイマンドレース』の概略を 本日をもって一旦、終了することとする… 明日からまた別の視点での問題を取り上げる積もりだからだ… |
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2018.11.17[Sat] |
『人間(アントローポス)の救済 〜其の1』 |
『地上』に転落した 『人間(アントローポス)』の生き方には 二つの道が生じる… 『叡智界』を再認識した者は 『本来的自己』を認識して 其処に帰ろうとする道を… 『身体』に執着して生きる者は 彷徨い乍ら闇の中に留まり 死をもたらすものを感覚によって味わう道を… 此の『二重性』の中で 『人間(アントローポス)』は 二者択一の選択を迫られる… 此処に前提としてあるものが 『自己』と『身体』の対立 『身体二元論』である… 然し乍ら 『ポイマンドレース』の『救済論』は 『宇宙論』に求められ飛躍する… ローマ帝政期に於いて 『魂の救済』とは『魂』が 本来の状態へと回復することである 『魂』が『叡智界』から堕落し 星辰界を通過して 地上の身体の中に陥ったのとは逆に 身体と訣別し、星辰界を上昇し 本来の状態に戻ること 此れが『魂の救済(原点回帰)』である… 『救済論』は『宇宙論』とは 切っても切れない関係に置かれている… 然し乍ら『救済』の図式は一様であっても 其の具体性は多様である 『救済』は『身体』の憎悪から始まる そして其の者は上昇の道を歩み始める 上昇への道(帰昇)は星辰界へ向かふ… 最初は『七つの遊星天』… 此の領域を上昇し乍ら其の者は 遊星天の各層に其々の作用を返却する… 其れは『七つの遊星天』 過去の転落の際に 序列に属するものを分け与えたものである… 序列に属するものとは 一言で言ふならば『七つの悪徳』である… そして『人間(アントローポス)』は 『ポイマンドレース』の此のよふな『星辰観』 つまり『悪徳の宇宙』の界面を突き抜けて上昇するのである 此の『ポイマンドレース』の 甚だ個性的な『星辰観』は 『ヘルメス文書』の中でも特に抽象度が高く 突出した宇宙論となっているのだ… (其の2へ続く) |
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2018.11.16[Fri] |
『自己と星辰界との敵対』 |
掲載画像はカラヴァッジョ作の『ナルキッソス』… 『ナルキッソス』はギリシャ神話に登場する美青年である… 彼に恋い焦がれるたくさんの『ニュンペー(下級女神・精霊)』達がいましたが 『ナルキッソス』は、ことごとく冷酷な仕打ちをするばかりでした… 中でもヘラに罰を与えられ相手の言葉を繰り返す事しかできないニュンペー『エコー』は 『ナルキッソス』に酷い言葉で振られ、身体を失い、木霊(こだま)になって終ふのです… そこで、ある処女が復讐の女神ネメシスに 『彼が愛に報いられないように』と頼み、それが受理されます… 『ナルキッソス』は狩りの疲れのため、澄み切った泉にやってきます… 喉の潤いを癒そうと泉にかがみこむと、美青年の顔が水面に映り 彼はそれを水の精霊だと思いこんで恋に落ちてしまいます… 顔を近付けて手を伸ばしますが、水面が揺れて相手は逃げて終います… 其れは自分の顔だというのに、ナルキッソスは全く気付かないまま 食べることも寝ることも忘れ、水面をずっと眺めていました… 恋煩いで彼はみるみる衰弱していき、痩せ細り… 遂には、水面に写った自分に口付けをしようとして落ちて水死する… さて、本日の本題に入るとする… 『人間(アントローポス)』の転落物語は ギリシャ神話の『ナルキッソス少年の悲劇性(転落)』が反映されており、一因となっているが (ナルキッソスの水死は、天界から地上への転落の意味である…) 其の物語の結着点は、彼は結果として 『ロゴス無き姿に住み着いて終った』ことにある… 『人間(アントローポス)』は、自己の意志の結果 『身体』の中に『転落』したのである… 其れは『土』と『水』の元素が混じり合い『泥的』となった物質世界を意味している… つまり『人間(アントローポス)』は全ての地上の生き物と異なり 『叡智界』と『地上』が練り合わされた『二重性』を有している… すなわち、身体ゆえに死ぬべき者であり 本質的人間ゆえに不死なる者である… 『人間神話』の過程に於いても 『星辰界』の影響を念頭に置き続けたことの証であり 万物の『権威』を有し乍ら『運命(ヘイマルメネー)』に服して 死ぬべきものを背負っている… 『二重性』のうち『身体』にあたる負の極は 此処では『運命(ヘイマルメネー)』による『死の支配』 あるいは『世界組織』の中でうごめく『奴隷』として『支配』されている… 是等のことは『星辰界』とその『支配』ないし 『支配組織』を前提としたところから出現する思想である… 此処で語られているのは 自己と身体の敵対(身体二元論)を遥かに超越した 『自己と星辰界との敵対(宇宙二元論)』なのである… 此れが『ヘルメス文書』の『ポイマンドレース』の 『救済物語』の始まりに繋がるのだ… |
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2018.11.15[Thu] |
『人間(アントローポス)の創造』 |
掲載画像は、宇宙における人間と天空現象との関係 ロバート・フラッド『宇宙の気象学』より(1626年) 昨日、述べたよふに『ヘルメス文書』の中の初期文献 『ポイマンドレース』に於いての『天地創造』は 『至高神』によってではなく 『造物主(デミウルゴス)』によってであった… 一方『人間(アントローポス)』は 『至高神』が自らも何かを生み出したい欲求のために 彼自身から直接生み出されたのである… それ故『至高神』は自分の似姿を持つ 『人間(アントローポス)』を自分の子として愛した 『至高神』との等しさ 此れが『人間(アントローポス)』本来の理想的な状態… 『旧約』の『天地創造』に於ける 『人間(アントローポス)』成立の流れと比較してみれば 其れが如何に特異なことであるかが明白なのである… 『至高神』は『人間(アントローポス)』に 自分の『被造物(感覚界)』を委ねる つまりは万物に対する『権限』を与えた… それは『至高神』が『被造物(感覚界)』との 直接の関わりから遠ざかる為である これにより『至高神』の存在は 揺るぎなく絶対的なものになる… 『人間(アントローポス)』は 『造物主(デミウルゴス)』と同様に 『運命(ヘイマルメネー)』の悲劇を背負って 『叡智界』より『転落』してきた 言い換えれば『支配下』の元に置かれたのである… 転落した『人間(アントローポス)』は 『造物の天球(第八天・恒星天)』に至り 『造物主(デミウルゴス)』の被造物 『七人の支配者(ディオイケーテース)』を観察する… 『人間(アントローポス)』は 元々『叡智界』に居たが 感覚界の一番外側の円周 『造物の天球(第八天・恒星天)』に 降りてきたといふことになる… 『造物の天球(第八天・恒星天)』に 足を踏み入れた『人間(アントローポス)』は 『七つの遊星天』と接触、通過し 更に下降して『地上』へと到達する 『人間(アントローポス)』は 本来、居るべきところではない『地上』に埋没したのである… 『人間(アントローポス)』は此のよふに 『星辰』の影響を全面的に受けたのだ 是等が『宇宙』を『悪魔視』した所以 (然し乍ら、グノーシス主義の悪魔視とは違って、ネオプラトニズムに起因する…) また、此処で重要となってくるのが 『人間(アントローポス)』が 『地上』に降り立ったことで 『本来的自己』を忘却していることである… 此の『本来的自己』は最終的に 『人間(アントローポス)』にとって 『救済』の際に最も重要な鍵となるからである… 昨日も述べたよふに、是等は 非常に『グノーシス主義』に近接した思想ではありますが 『グノーシス主義』にも、さまざまな種類の思想があり 其れを比較してみるのは、なかなかにして興味深いものがあります… 例えば以前に紹介した『グノーシス主義者』の 『バシレイデース』の宇宙論などと比較すると 『宇宙創世神話』といふのは 本当に支離滅裂な思想の集合体であることが伺えるのです… ( 2018.10.6[Sat]『反グノーシス主義のよふなグノーシス宇宙創生神話・参照) |
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2018.11.14[Wed] |
『ポイマンドレースの天地創造』 |
『旧約』に於いての『天地創造』は… 『神』が『暗闇がある中に光』を創り 『天と大地』『海や植物』『太陽』『月』『星』『魚』『鳥』『獣』『家畜』 『神に似せた人間』を、たったの『七日間』で創ったものである… 全ての『天地創造』は『神』に於いて成されたのである… 然し乍ら『ヘルメス文書』の『ポイマンドレース』に於いては よりハイ・レベルな境地となり、事情がかなり変わってくるのだ… 先づ先に、美しい『光』が存在する 暫く後に『闇』が垂れ下がり 此の二原理から始まり、世界の『四元素』が成立する… 『火』『気』は上昇し、『土』『水』は下降し混じり合い、三層構造を成してゆく… 『理想の世界(叡智界)』を雛形として、我々が住まふ『現実の世界』は創られる… 其れは『模倣の世界』である… 『模倣の世界』すなわち『現実の世界』は 『至高神の意志』による『四元素』成立が出発点… 『至高神(ヌース)』は『ロゴス』によって 火と霊気の神『造物主』なる もう一人の『ヌース(デミウルゴス)』を生み出す… 『至高神(ヌース)』が『天地創造』に於いて 直接創造したのは、『造物主(デミウルゴス)』のみである… つまり、前者は『可視的世界の創造(現実の世界)』は 全て後者に一切を委ねている… 『至高神』と『造物主』との区別は 『光の国』から出来る限り『物質界』を 遠ざけよふとする『弁神的意図』によるもの… 『第八天(恒星天)』に於ける『造物主(デミウルゴス)』から 『七人の支配者(ディオイケーテース)』が生じる… 『恒星天』と『七つの遊星天』 つまりは『星辰界』の成立となるのである… 其れは、原型たる『叡智界』を模倣して 『円周』といふ幾何学的序列となり… 序列の順位として上位から 『叡智界』>『星辰界』>『地上世界』という ハイアラーキー図式となる… 創造と被造、支配と被支配の連鎖によって 序列は切れ目なく繋がっている… 此の序列が連結した性質を『親和』と呼び 『支配』のことを『運命(ヘイマルメネー)』と呼ぶ… 此れが『ヘルメス文書』の『ポイマンドレース』の 『天地創造』の基本的構造である… 此の時点では『人間(アントローポス)』は まだ誕生していない… 『人間(アントローポス)』は後に 『造物主(デミウルゴス)』によってではなく 『至高神』から直接生み出されるのである… 『人間(アントローポス)』を 『神の子』と呼ぶ所以が、此処にあるのだ… 『ポイマンドレース』の『宇宙創生神話』は ヴァレンティノス派グノーシス『プトレマイオスの教説』と 非常に接近しているものの、若干の差異が見受けられます… 先づ『デミウルゴス』の存在位置が違ふこと… また『ポイマンドレース』に於いては『宇宙創生』の始まりは『ロゴス』の転落であるが 『プトレマイオスの教説』に於いては『ソフィア』の転落である… また『ポイマンドレース』に於いては『人間』は『至高神』から直接生み出されるのであるが 『プトレマイオスの教説』に於いては『至高神』が 『アカモート』に『モナド』を種子として植え付けたのだ… ( 2018.10.1[Mon]『デミウルゴス(創造神)』・参照) |
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2018.11.13[Tue] |
『ダライ・ラマ法王』 |
ブラジル(サンパウロ)在住のドキュメンタリー映像作家 『岡村淳』氏よりメールあり… 洋画家『富山妙子』氏を『再訪』してきたよふである… ( 2018.11.9[Fri]『アウトサイダー・祖国へ』・参照) 承諾を得て『岡村淳』氏のメールより、一部抜粋することにする… (以下) ―――――――――――――――――――― 富山さんの方から『アウトサイダー』のフライヤーを持ち出して、 これはいい、とおっしゃいます。 パッと見てなんだか分からないところがいい。 日本のアートは西欧の模倣ばかりだが、 これは西欧の題材をとりながら、それから逸脱しているのがいい。 ―――――――――――――――――――― 此れは非常に嬉しい『有難きお言葉』です わたしの制作に於ける『意図』や『狙い』を 深くご理解くださっているのが分かるからです… 『富山妙子』氏が『ギリシャ神話』に 精通しているのもあるかもしれませんけれど… これぞまさに『冥利に尽きる』といふものです 『苦悩』を重ねてきた甲斐がありました… わたしの制作に於ける『意図』や『狙い』に於いて 最も重要なのは『思想』です… 小手先のテクニックに陥らない為にも『読書』は欠かせないのです… 『記憶』を掘り下げることで『マテリアル』が活きることを『読書』は教えてくれます… 特に『大哲学者』や『君子』の説は… 其れから 『西欧の題材をとりながら、それから逸脱しているのがいい』 …といふコメントも言い得て妙であると想ふのは… わたしの作品はモティーフは西欧であっても 其れを組み立てる際に『浮世絵』の構図 ないし『平面性』を潜り込ませているからなのです… 『有難きお言葉』… 此処で話題(本題)を変えます… 掲載画像はチベットの中心地 ラサのマルポリの丘の上に建設された『ポタラ宮』… 此れは、わたしにとって、何年も叶わず 今年も叶わなかったことです… それは『ダライ・ラマ法王(ダライ・ラマ14世)』 2018年『来日法話』のこと… 来たる11月14日(水)〜16日(金)に パシフィコ横浜国立大ホールに於いて開催されます… 詳細は以下… http://www.tibethouse.jp/event/2018/teaching181114.html 11月14日(水)は… 『ツォンカパの『縁起讃』(tendrel toepa)とカマラシーラの『修習次第』中編(gomrim barpa)についての法話』 11月15日(木)は… 『聖観自在菩薩の灌頂』(chenresig jigten wangchuk wang)の授与』 最終日の11月16日(金)は… 『ダライ・ラマ法王と3人の科学者たちによる仏教科学と現代科学との対話』 『ダライ・ラマ法王』の『有難きお言葉』を 是非とも拝聴してみたいものです… 来年は、叶ふでしょうか 是非とも、叶えたいものです… 因みに『岡村淳』氏は 『ダライ・ラマ法王』にお逢いしたことがあるそふで 何とも羨ましい限りである… 以前にも紹介しておりますが、以下にリンクした動画には 此の世界のありとあらゆる『真理』が立ち現れていると想います… ――――――――――――――――――――――― 坂本龍一 『3-3 Light / LIFE』 https://www.youtube.com/watch?v=RqlItqLTseQ |
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2018.11.12[Mon] |
『至高体験(Peak-experience)』 |
(2018.11.3/基地創設60周年記念 入間航空祭にて撮影) 心理学者『A・マズロー』に於いて とても有名な言葉があります… それは『至高体験(Peak-experience)』… A・マズロー(著) 『創造的人間 宗教・価値・至高・経験』より一部抜粋(以下) ――――――――――――――――――――――――――― 神秘的体験、大いなる畏怖の瞬間、とても強烈な幸福感、 歓喜、恍惚、至福すら感じる瞬間であり、 このような瞬間は純粋であり、積極的な幸福感に満ちている。 あらゆる疑惑、恐怖、禁忌、緊張、弱さが追い払われる。 今や自己意識は失われる。世界との分離感や距離感は消滅し、 同時に彼らは世界と一体であると感じ、世界に融合し、 まさに世界に属し、世界の外側にあるのではなく、 世界の内側に見入るのだ。 ――――――――――――――――――――――――――― 『至高体験(Peak-experience)』… 『人生』に於いて、ある『瞬間』に訪れる 非常に充実した『輝かしい特権的体験』と名付けられた此の言葉… 『精神』の中は、真っ白であり 其処が何処であるとか、何時(いつ)であるとかを超越して 『豪奢(ごうしゃ)な瞬間』を迎えること… あの『ヴィットゲンシュタイン』も 同じよふに説いているのです… 其れは『永遠の瞬間』 深さと輝きと安らぎに満ちた世界… エリアーデの言ふ『神話時間』… 『森羅万象』… 今まさに、今此処の『瞬間』を 永遠と言い切れる程に『尊い尊厳』だと痛感するだけのことである… ――――――――――――――――――― 『ブルーインパルス』 https://www.youtube.com/watch?v=1_fJJ9BvPVM |
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2018.11.11[Sun] |
『七つの遊星天(ヘブドマス)』 |
『古代宇宙創生神話』(天動説)に於いて 『地球』を取り巻く『七天』は 『月』『金星』『水星』『太陽』『火星』『木星』『土星』にあたります… 此れは上手く説明の出来ないことなのですが… 『七天』を円周上に配置して 更に此処に、古代ヘブライの秘密教義『カバラ』に於ける 天地創造説や独特の宇宙観で『水星』と『金星』の位置が入れ替ると 本日アップした画像のよふな『アスタリスク形態』となるのです… |
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2018.11.10[Sat] |
『悲観的世界観』 |
掲載画像は『ヘルメス文書』の中の CHX 『ヘルメス・トリスメギストスの鍵』(作者不詳)… 本日の話題は、先日触れた『悲観的世界観(ペシミズム)』について… ( 2018.10.23[Tue]『二元論』・参照) 『ヘルメス文書』の中の、CHX 『ヘルメス・トリスメギストスの鍵』は 『伝統的宇宙構造』であり『身体二元論』の特徴を持っています… 然し乍ら、同じ『ヘルメス文書』の中にありながらも 最初期の文献、ポセイドニオス(著)に於ける『ポイマンドレース』は 『伝統的宇宙構造』を『宇宙的二元論』にまで『飛躍』させているのです… 控えめに言っても、其れ等には 共通して『悲観的世界観』が見受けられます… 其れにはふたつの根拠があって… 此の星辰界をも含めた意味での宇宙論が『善』ではないと評価している点… 造物主(デミウルゴス)が至高神と独立の存在としている点… 此れによって『至高神』の住まふ不可視の『理想の世界(叡智界)』は 我々が住まふ星辰界をも含めた可視的な『物的世界(模造の世界)』を 遥かに超越した世界であることを、きっぱり断言しているのです… 神なる『ヌース(叡智)』で把握される『理想の世界(叡智界)』は 光が無数の力から成り『世界(コスモス)=秩序』が無際限に広がる『原型の世界』… 感覚で把握される『物的世界(模造の世界)』は其の『影』に過ぎない… 『ポイマンドレース』に於いて『理想の世界(叡智界)』を描写する言葉は 『無数』『無際限』『光』『力』『火』など 非常に漠然としており、注釈を許さない… 是等の宇宙観はまた ヴァレンティノス派グノーシス主義『プトレマイオスの宇宙創世神話』の 世界観にも同等に見受けられるものです… 此処で話は脱線しますが… 『悲観的世界観』を解明しよふとしたのは あの心理学者の『アルフレッド・アドラー』であります… また、以下の映画『ダ・ヴィンチ・コード』に於いては 『ソフィア(ラテン語)・ソフィー(フランス語)』の存在が『鍵』となります… 古代宇宙創生神話に於いて あの『プレーローマ』から『転落』した『ソフィア』です… --------------------------------------- 『ダ・ヴィンチ・コード(The Da Vinci Code)』 https://www.youtube.com/watch?v=yY1OJyaWBJ4 |
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2018.11.9[Fri] |
『アウトサイダー・祖国へ』 |
先日紹介したブラジル(サンパウロ)在住の ドキュメンタリー映像作家『岡村淳』氏… ブラジルより祖国『日本』へ入国… 本日、彼よりメールを受け取る… わたしがデザインした『フライヤー』についての 報告を兼ねてであった… ( 2018.10.26[Fri]『アウトサイダー』・参照) 彼は真っ先に『フライヤー』を、とある人物に お届けに行ったよふであった… 彼が、カメラで追い続けている人物へと… 其の人物は、洋画家『富山妙子』氏… (とみやま たえこ 1921年11月6日 - ) 戦後、1950年代に入り、画家の社会的参加として 筑豊炭鉱や鉱山をテーマに労働者を描いた『巨人』… また『文筆家』として『著書』も数多… 『ギリシャ神話』などにも精通している… 彼のメールには 『さっそく富山妙子さんのところを訪ねて、 手元にあった今度のフライヤー(アウトサイダー)を渡しました。 かなり感心していました。』…と… わたし自身は『富山妙子』氏とは直接の面識はないのだが 『ジョルダーノ・ブルーノ』のわたしの表現の片鱗が このよふに繋がり『評価』して頂けるといふことは 大変に光栄であり、素直に嬉しいものである… 『岡村淳』氏の、今回の『訪日ライブ上映会』の皮切りは 明日(11/10・土)から始まる… 初回は『東京大学』〜東洋文化研究所に於いて… 『富山妙子』氏の未発表ドキュメンタリー映像の公開… 詳細は以下をご覧ください… ――――――――――――――――――-―――- 第二回・東文研/国際学術セミナー 『富山妙子と炭鉱、ラテンアメリカへの旅−上野英信の光と影を照射する―』 http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/news/news.php?id=ThuOct110957032018 |
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2018.11.8[Thu] |
『狩人アクタイオン』 |
わたしの『絵画』創作活動に於いては 『テクニカル(技法)』なことは、殆ど何も意識していないのです… 最も重要になってくるのが わたし自身の『精神』の在り方になります… 『読書』に耽ったり、このよふに日々感じる事を 『備忘録』として書き続けること… 此れがわたしにとっての『素描』となるのです… さまざまな『哲学』『歴史』『宗教』などを 読み交えながら、其れを日々、少しずつ進めてゆくこと… わたしは常に、10冊以上の『文献』を同時進行で読み進めており 其の中に於いて、さまざまな『点』が『線』になり 『面』になってゆくのを好むのです… わたしの『個展』の『主題(テーマ)』は このよふな積み重ねから生まれてくるので どんなに短くても、想い浮かぶまで、数ヶ月かかって終います… 『制作』はその『主題(テーマ)』が決定してから本格化するので 実質的には『創作時間』は、非常に短期間に凝縮して行われます… 故に、今現在のわたしは 全く『絵』を描いていないに等しい状態… わたし自身の『精神』に浮かび上がる『想い』に 耳を傾けているのみなのです… 普段は『宇宙創生神話』や『ジョルダーノ・ブルーノ』に関しての『備忘録』が主となりますが 此れが毎日続くのも非常に『体力』を消耗しますので… 其のよふな時は、わたしは息抜きに『詩歌』を書くことにしています… 此れがわたしにとっては、非常に『リラックス』できる瞬間となるのです… 普段のわたしの中に沈殿している『言葉』を、ありのままに綴るのです… おそらく、みなさまに於いては、読んで頂いたとしても 『支離滅裂』な内容かもしれませんけれど… わたしにとっては非常に『立体的な映像』として くっきりと立ち現れてくる世界なのです… 以下は、昨日のメッセージの『アクタイオンの死』について わたしが綴った『詩歌』となります… (以下) -------------------------------------- 『狩人アクタイオン』 かつては光が痛いほど承知していた 日々の痛みを癒し鹿のよふに飛び跳ねたもの 神々の生にも比される至高の生 狩人アクタイオン 然し乍らも どふしてこふも想ふよふに 種子を蒔けないのだろふか もしや此の手はただ心を引き裂くためだけに 不在証明を回転させるためだけに 此の世にやってきたのね 天使たちが迎へにやってきます どちらさまですか 海に於いては目覚めていたけれど 傍観することは周りの者たちの役割 モナドの中にある本質的自己の引力を承認して そして今まさに一緒に天界の中を彷徨い 沈黙といふ生活のなかの孤独の勇気を 起き上がれないほどに望み 清らかな文字盤の生命と白銀の篩(ふるい)から上昇しゆく 孤独は畏怖に包まれ 無限に近い羨望の秘密が 最後の部屋を行ったり来たり 愚鈍な眼差しを雇ふ庭先の蒼き翼の衝撃が ささやかな狂気の歳月の非難をかわしてゆく さぁ連れ戻してあげるわ 滅びる権利は美の定義 あの水平線に添えられた装身具は 角度のない陽の沈みと共に あの躊躇いのヴェールの踏み段を登ってゆく 光はランプのよふに合札を与えられ 其れは蹄の音のよふに拙い あなたのために高くかざした福音の宝石 勇ましくなれるのって本当かしら 魔術は色褪せずにひとまわりして 輝きを取り戻す |
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2018.11.7[Wed] |
『再び…アクタイオンの死』 |
『ジョルダーノ・ブルーノ』の教師とは 時代を超越して、まさしく『ヘルメス・トリスメギストス』であります… 其れは『ジョルダーノ・ブルーノ』による 『イデアの影について』へと繋がってゆくのです… 『コペルニクス的哲学』を擁護する賢者『ジョルダーノ・ブルーノ』は 『万物の原理』は三つあり、其れは『神』と『自然』と『技術(アルス)』であると説くのです… 『コペルニクス自然哲学』と結びつけられ 『光』の生き物たちと『闇』の生き物たちが 此の『啓示』の敵味方として分類されるのです… 『神』は不可視ではありますが 『神』は自然を通して、太陽の光がマテリアルに当たり 其の影を創り出すよふに『自然』の中に反映されて出てくるのです… ブルーノの『神は自然万物のうちに、また、うちにしか存在しない』といふ言葉の『真意』が此処にあり 『自然』は『神』に至る存在や認識が、他のものによって条件づけられて成り立っているだけに 軽視されるのではなく『重視』されるべきだと説いたのです… 人間は其の『技術(アルス)』によって『自然』の所在を探し求め『神』を知ろうとしますが 『自然』という厚い壁は、人間が其れに近づくことを厳しい態度で『峻拒』するのです… 然しながら『真理』に憧れる人間は『狂おしいまでの情熱』で 此の『神的秘密』を探り当てようとします… 是等のことは全て、古今東西の文学や哲学に精通していた… オウディウスによって著された『変身物語』の『アクタイオンの死』へと繋がってゆくのです ( 2018.9.12[Wed] 『アクタイオンの死』参照 ) |
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2018.11.6[Tue] |
『ルネッサンス』 |
サンドロ・ボッティチェッリの『ヴィーナスの誕生』 (フィレンツェ『ウフィッツィ美術館』所蔵) 此のボッティチェッリの代表作のひとつには オウィディウスによる『変身物語』に見られる描写と明らかな類似性があります… ( 2018.9.28[Fri]『アモルとプシュケー』・参照 ) わたしは此の作品を目の当たりにした時 暫くの間、其の場に立ち尽くして終いました… 其れは、まさに『ルネッサンス』の衝撃だったのです… 『ルネッサンス』… 其れはまさに 『古代エジプト回帰』と『ヘルメス文献』に他ならない… 其の『進歩』は、情念的な流体を後方に加速して押しやり その反作用の前向きの力によって 前進する力の全てを過去の想起から得ていたのだ… 清浄な真理の時代は始原の『黄金時代』にあり… 其れらは『善の循環法則』によって繰り返された時間概念である… 当時の通念で捉えられていた人類の歴史は 原始的な動物を起源として一定の方向を目ざして 複雑さを増し前進してゆくといふ進化概念に規定されたものではなかった… 『進歩』とは… 古代の『再興』『復活』『再生』に他ならなかったのである… 人文主義者たちは… 古典古代の文芸作品とモニュメント(遺構)を再発見していった… 其れは、退廃の線型独立なベクトルから成る集合に埋もれた 『福音』の再発見の感覚だったのだ… ――――――――――――――――――――― 『Firenze』 https://www.youtube.com/watch?v=GoqB3gFw1Ec |
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2018.11.5[Mon] |
『四元素』 |
『ヘルメス文書』の中の初期文献 ポセイドニオス(著)の『ポイマンドレース』は 対話の幻の中で始まります… 求道者は幻の中で巨大な姿の『ポイマンドレース』と出逢い 彼は『私は存在するものを学び、その本性(ヒュシス)を知解し、神を認識したいのです』と求めるのです… 『ポイマンドレース』によって、求道者の求めは承知され、新しい幻が展開します… 其れは、全てが『光』であり、それは美しく、喜ばしく、愛を抱かせるよふな光景であった… 然し乍ら、暫くすると『闇』が垂れてきて、曲がりくねって『蛇』のよふな形状となります… 其れが『宇宙創生神話』に於ける『ウロボロス』 『七つの遊星天(ヘブドマス)』の『番人』となるのです… 『ウロボロス』が『宇宙構造』の中で どのよふな位置を占めているのかを判断するために 此処でもうひとつのグノーシス派『オフィス派』に於ける『ウロボロス』を確認する必要があります… 問題は、此の『宇宙』は『光』と『闇』の二原理から出発したのであり 其の文脈は、世界の素材としての『四元素』が成立する過程へと繋がってゆくのです… 『世界の素材』は『闇』の側からのみならず『光』の側からも影響を受けます… 『光』の側からの関与は『ロゴス』であり、其れが『湿潤なヒュシス(万物の素材)』に乗るのです… 此の文脈に於ける『ロゴス』は先づ『男性原理』としての役割を持っており 実質的に『男性の種子』と言ってもよいのです… 『男性的ロゴス』は『女性的ヒュシス』との『交接』を描いているのです… 此処から『四元素』が生まれます… 其れらは『火』『気』『土』『水』… 『交接』の結果、最初にヒュシスから飛翔するのは 『火の元素』である… 『気』が此れに続く… 両元素は軽いので『上昇』する元素と呼称されている… 此れに対して下降する重い元素は『土』と『水』であって 両者は互いに混じり合って『泥的』となるのである… 『火』と『気』は、『気』が『火』の下位に ぶら下がっているかのよふに『層構造』しているのに対して 『土』と『水』は一体化している… こふして『火』と『気』と『土・水』の三層が 元素の重さに従って形成される… 此れが後に、『星辰界』と『月下界』と『大地』が創造される準備となってゆくのです… -------------------------------------------------- 『セバスチャン・サルガド(Sebastião Salgado)』 https://www.youtube.com/watch?v=WmedMl4hNd4 |
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2018.11.4[Sun] |
『わたしの浪人時代』 |
此の画像は今現在のブルーインパルスの機体『T-4』ではなくて 前代のブルーインパルス『T-2』(1995年・退役)の『コックピット』です… わたしが『コックピット』に『搭乗』した際に撮影したもので 『座面』は非常に硬く、たくさんの複雑な『計器』があります… さて本日は、昨日の続きの話となります… わたしは自分でも『おかしい』と想うのですが… 頑なに『多摩美術大学』への進学を目指したのです… 普通に考えれば『日本』に於いての最高峰の 『東京藝術大学』への進学を希望するのでしょうけれど 何故だか、其れを頑なに『拒否』したのです… 『現役時代』は『記念受験』として『東京藝術大学』の受験をしたのですが 其れは『センター試験』に限定した訳で、実際には『東京藝術大学』の『実技試験』を放棄しているのです… 『センター試験』は『マークシート』を適当に塗りつぶして、15分ぐらいで切り上げて、寝て終いました… そして『東京藝術大学』の『実技試験』の日程は、ちょうど『石巻高等学校』の『卒業式』の日でした… 其の日より以前に『多摩美術大学』の『受験』は見事に落ちていたので いち早く『浪人』することを決めて『石巻高等学校』の『卒業式』も放棄して 『新宿』をプラプラと遊び歩いていた 其の時の、清々しい気持ちは今でも良く覚えているのです… 何と『親不孝』なことでしょう… 『アウトサイダー』的な行動… まさに『馬鹿者』なのです… そして、わたしは『浪人生活』を 上京して『新宿』にある美術大学進学のための『予備校』に通ふことになるのです… 其の『予備校』の近くには『世界堂(本店)』もありましたので非常に便利だったのも理由のひとつです… 其処でわたしは、よふやく本格的に『デッサン』や『油彩』の指導を受けることとなるのです… 其の『予備校』で教わった『先生』が 実は、先日紹介したドキュメンタリー映像作家『岡村淳』氏に繋がってゆくのです… ( 2018.10.26[Fri]『アウトサイダー』・参照 ) ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 『下手に描きたい 画家森一浩 ブラジルの挑戦』 http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000044/20100503006405.cfm ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 『サルヴァドールの水彩画』 http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000044/20120810008358.cfm ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 『森一浩』先生は、とても個性的で『風の風景』と題した作品を描いていました… http://www006.upp.so-net.ne.jp/nana77/ 今ではもう開催されていませんが 日本のアーティストの最高峰とも言える『安井賞展』で『ル・ネ賞』を受賞するなど 注目度の高い画家だったのです… 話は変わって、わたしの『浪人生活』は… 春頃は、割と順調にみえたのですが、其の後『急降下』して終います… 受験を控えた『秋』の予備校の『油彩コンクール』に於いては 不名誉な『最下位』を授かります… そして更に『東京藝術大学』への進学を希望しなかった『わたし』は 周囲から『厄介者』扱いされることが多くなりました… (此れは、わたしの反省点であります…) 今となっては良き想い出ですが、此の時ばかりは かなり深刻に、凹んで終い『予備校』を一日さぼって 当時、上映されていた『ターミネーター2』を一日中、観て過ごしたのです… とにかく、わたしは何事に於いても『頑な』だったのです… 其れでも、やはり、わたしは悩みに悩んで『受験』の前日まで どふにもならないぐらいの『レベル』に沈み込んでいました… 其れは、かなり『絶望的』な状況… 然し乍ら『受験』当日に、何故だか知りませんが 急にすらすらと、描けるよふになったのです… 此れは、間違った数値かもしれませんが 其の当時の『多摩美術大学』の『油画』選考の受験者数は 定員『150人』に対して『約6000人』だったと記憶しています… 倍率は『約40倍』だったでしょうか… 何と言ふことでしょう… わたしは『多摩美術大学』の『実技』を 『満点』で合格して終ったのです… まぁ、大学受験の合格なんて、其の後の『己自身の表現』を探る『苦難』に比較したら どふでも良いことになって終ふのですけれど… わたしの本当の『苦難』は、此処から始まってゆくのです… 此処でまた話は変わって終いますが 『ブルーインパルス』のパイロットは本当に凄いですね… 最大『6.5G』の重力の中で展示飛行しているのですから… そして、飛行中… 最も『密集』する演目『ファンブレイク』の際は、『約1メートル』まで各々の機体が近づくのですから… 彼らの『精神力』には、頭が下がるばかりです… ―――――――――――――――――――――――― 『ブルーインパルス』 https://www.youtube.com/watch?v=6atAJ3NFAcE&feature=youtu.be |
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2018.11.3[Sat] |
『故郷の空』 |
いつも、故郷の『石巻市』に帰省すると感じるのは 『空』だけには『震災』の景色を、微塵も感じないといふことです… 『地面』には、まだ色濃く傷跡がありますので、複雑な気持ちになるのですが… 『青空』にしても『夜空』にしても、わたしは、上を見上げることが多くなった気がします… 此処で、話は変わります… わたしは、高校は『石巻高等学校』を卒業… 『石巻高等学校』は、石巻市内を一望できる『鰐山(わにやま)』といふ小高い丘陵地にあります… (松尾芭蕉が訪れた『日和山』は『鰐山』の南東凸部にあたります) 生徒は、通称『鰐陵生(がくりょうせい)』と呼ばれていて 竹を割ったよふな、非常に気持ちの良い『バンカラ』な男子校(今現在は男女共学)でした… 『応援団長』は一本下駄でしたし、何よりも勢いのある飾らない生徒が多かった… 故に他校からは『お山の大将』と呼ばれていたのです… 然し乍ら『石巻高等学校』は『入学式』を無事に終えたと想ったら大間違いで 『新入生』は全員、先輩たちに体育館に呼び出され、正座をさせられ 数十分に渡る『罵声』と『応援歌』の、愛のある『洗礼』を受けることになり それを乗り越えて初めて『鰐陵生』として認められるのです… 制服もなく『私服』でOKでしたし、個性的な先生たちも多かったのです… 体育祭などは、敵チームに向かって『ロケット花火』を撃ち込むなどは当たり前のことで 其れでも何の『お咎め』もないといふ、かなり自由な気風で3年間を過ごしました… 小学校時代に『野球』そして、中学校時代に『バレーボール』に夢中になっていたわたしは 『石巻高等学校』に入学して初めて、文化部の『美術部』に入り、本格的に『美大』を目指す準備を始めることになります… 然し乍ら、本格的と言いましても… 『石巻市』には『美大』を目指すための『予備校』が、皆無だったのです… 『美術部』自体も、実質『帰宅部』みたいなものでしたから わたしは授業が終わってから『美術室』に直行して夕暮れまで ひとりで黙々と『石膏デッサン』に打ち込んだだけのことなのです… 『石巻高等学校の校訓』は 『質実剛健・進取独創・自ら進運を開拓すべし』でした… 此れは本当に『笑い話』となりますが、わたしは自ら望まなくても 『自ら進運を開拓する』しか選択肢がなかった訳です… わたしといふ人間は… 出来の悪さの割に、意地っ張りで、生意気な気質でしたから (でも、異常なぐらい、自分をさらけ出さなかったので…) 自分で言ふのも変ですが、あまり周りの人達からは、好かれていなかったのではないかと想います… 『絵』にばかり没頭する余り… 『同級生』と遊んだ記憶が全くと言って良いほどないのです… さて、ここでまた話を急旋回させて終います… 本日『11月3日』は『文化の日』… わたしは例年のごとく『入間航空祭』に行って参りました… 目的は『ブルーインパルス』の展示飛行… わたしが『ブルーインパルス』を初めて観たのは小学校の頃、地元の『矢本航空祭』でした… わたしはあっと言う間に『ブルーインパルス』のファンになりました… (故に、浜松基地航空祭での墜落事故も衝撃でした…) 『ブルーインパルス』は所属が、宮城県『松島基地』 わたしの実家から車で30〜40分にベースがあるのです… 『ブルーインパルス』は通常『松島基地』をベースにして 『金華山沖の洋上』にて『訓練飛行』を行なっています… 『石巻高等学校』は 『松島基地』と『金華山沖の洋上』の中間地点にありますので 校舎のすぐ側を『ブルーインパルス』が、かすめて飛行していくのは『日常茶飯事』のことだったのです… (此の時代のブルーインパルス機体は、T-4ではなく、T-2でした… わたしは以前、T-2のコックピットに搭乗したことがあります…) 今でも故郷の『石巻市』に帰省すると、タイミングが良ければ『ブルーインパルス』を目撃することができます… スーパーで買い物していると『ブルーインパルス』が地上100メートルぐらいの低空飛空で、当たり前のよふに飛び去ってゆくのです… わたしにとって『ブルーインパルス』は、まさに『故郷の空』其のものなのです… 憧れであり、勇気づけてくれるものであり、何より感謝する存在なのです… そして、わたしは以前『デザイナー・ディレクター』として 『防衛省』のキャリア幹部候補生に関しての仕事に携わっており 市ヶ谷の『庁舎』にも、しょっちゅう出入りしておりましたので、とても『親近感』が沸くのです… ( 2011.12.11[Sun]『自分をつくる。明日が始まる。』・参照) 普段のわたしは、どちらかと言えば 『内』に籠もりがちな性格ですが、本日は、久しぶりに『外』に出て 『ブルーインパルス』の勇姿を目の当たりにすることができました… また明日から、頑張れそうな気がします… 以下の動画は『石巻市』金華山沖で訓練する『ブルーインパルス』の勇姿です… 此れがまさに、わたしにとっての『故郷の空』なのです… ――――――――――――――――――――――――― 『ブルーインパルス』 https://www.youtube.com/watch?v=FsppJp2cavA |
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2018.11.2[Fri] |
『ジョルダーノ・ブルーノの魔術的・記憶理論』 |
彼は1548年に、南イタリアの『ノラ』で産まれた ナポリの『ノラ』は『ヴェスヴィオ山麓(火山)』付近の小さな町… 此の風土で産まれ育った『ジョルダーノ・ブルーノ』は 『ナポリの精神』を生涯失ふことなく生きたのです… 『ジョルダーノ・ブルーノ』は自らを『ノラの人』と呼び 『明るい太陽の光に恵まれた人間』であると信じていたのです… 後に、ドメニコ会に入信し、ナポリにあるドメニコ会修道院の寄宿修道士となりました… (此の修道院には、トマス・アクィナスの墓所がある) 然し乍ら1576年に『異端』の嫌疑をかけられた為 ドメニコ会の修道衣を捨てて逃亡… 『ジョルダーノ・ブルーノ』のヨーロッパ中を放浪する生活が始まったのである… ジュネーヴに行き、トゥールーズに行き、 そしてパリでは『記憶術』に関する書物を二冊、上梓している… この『記憶術』に『ジョルダーノ・ブルーノ』の『魔術師(マグス)』としての本質が現れている… 何故ならば、彼の『記憶術』は、内的な世界に『宇宙』を映し出すといふ 『ヘルメティズム』的な技法(つまりは、古典的記憶術)を持っていたからだ… 其れがまさに、彼の『魔術的・記憶理論』である… 『魔術』なしには『ルネッサンス』は 達し得なかったと言っても過言ではないだろう… 古典的な『記憶術』のルネッサンス期に於ける変容は 既に『ジョルダーノ・ブルーノ』以前に始まっていた… 然し乍ら、其の頂点を極めたのが『ジョルダーノ・ブルーノ』なのだ… 因みに、『記憶術』は『ルネッサンス期』に於いては 『ネオプラトニズム』と『ヘルメス主義者』の間で非常に流行し… 基本的かつ、永遠回帰の神話の『慣例の模範』と『行動の規範』を 『記憶に刻印する手段』として理解されるよふになったのだ… 『記憶術』を、視覚的に分かりやすく例えるならば… イタリアに於いての『丸天井』の存在や また、其処に描かれた様々な図像の意味が、此処にある訳だ… 其処に『宇宙』を感じ 『神』や『神々』を観ていたからなのだ… ------------------------------------------- 『Roma』 https://www.youtube.com/watch?v=31wq89a9pHE&frags=pl%2Cwn |
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2018.11.1[Thu] |
『計画』 |
(我が母校・大川小学校の校庭にて撮影/2011年6月6日) あの日あの時の、わたしの故郷(311)… わたしは『右』でも『左』でもないけれど… あの日あの時『日本の救助隊』の 存在の大きさを想い知ったのです… 最高レベルの救助能力を持つ 『陸・海・空・自衛隊』 『海上保安庁』 『警察』 『消防』など… 此処で話は変わります… わたし自身の人生に於いて どのよふな『達成感』を成し遂げたいかといふべき『命題』は 常に付き纏ってくるのであります… 『計画』を立てるのは非常に楽しいものであり 成功するための仕事の『計画』を緻密に立てたりすることは とても大きな魅力があるし、夢や希望に満ちています… 然し乍ら… その『計画』を作っただけでは『人生』は達成できないのだ… 『実行』しなければ意味がないのです… 其の『計画』を実行するに際し、様々な『障壁』が 目の前に立ちはだかってくる… 其れらを克服してゆくか、途中で諦めるかの問題が此処にある訳だ… では、どのよふにすれば良いと云ふのか… 『実行』し乍ら『計画』を練り直せば良いのである… ただ、其れだけのことなのだ… 何故、此のよふなことを語るのかと云ふと 今にも、くじけそうになる自分の精神を立て直すためなのだ… ――――――――――――――――――― 『日出づる処』 https://www.youtube.com/watch?v=ur6I3WHxXwA |
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